LOGIN第11話 聖女を殺す王命
真銀の炎が謁見の間を埋め尽くした瞬間、俺の耳から周囲の音が消えた。
目の前にいるリシアの姿も、セナを抱き止めたまま身構える竜族の近衛兵たちも、驚愕の表情を浮かべた怜央も見えている。それなのに、世界そのものが水底へ沈んだように遠ざかり、代わりに無数の声が頭の中へ流れ込んできた。
王命に背く者を許すな。
聖女の舌を封じ、心臓を止めよ。
魂を教会へ返し、記憶を焼却せよ。
命令は一つではなかった。セナの首に刻まれた呪印は、王国から遠隔で発動された単純な処刑術ではなく、幼いころから彼女の体内へ少しずつ組み込まれてきた隷属の術式だった。
彼女が聖女として認定された日。最初の洗礼を受けた日。王国と教会へ忠誠を誓わされた日。善意や信仰という言葉で覆い隠しながら、逃げられないように何重もの鎖をかけている。
「遥人、聞こえる?」
リシアの声だけが、遠い水面から差し込む光のように届いた。
彼女の手から流れ込む魔力は強大だったが、制御しなけ
第17話 聖剣の少女は、俺を兄と呼ぶ聖剣の中から現れた銀髪の少女は、俺の胸へ顔を埋めたまま離れようとしなかった。小さな背中には薄い銀色の翼があり、腰から伸びる尾は不安そうに俺の腕へ巻きついている。長いあいだ剣の中に閉じ込められていたせいか、その体はひどく冷たく、抱き止めた腕へほとんど重さが伝わってこない。「お兄ちゃん、やっと声が届いた。ずっと呼んでいたのに、今まで誰も聞いてくれなかったの」少女の声には喜びだけでなく、置き去りにされた子供の寂しさが滲んでいた。俺はどう接すればよいか分からず、ひとまず彼女が転ばないよう両肩を支える。少女はその手に安心したように目を細め、さらに体を寄せてきた。「遥人」隣から、妙に冷たい声が聞こえた。振り向くと、リシアが無表情で少女を見下ろしている。顔には何も出ていないが、銀色の尾は床を一定の間隔で叩いていた。『落ち着きなさい。この子はまだ幼いし、長いあいだ聖剣に閉じ込められていた被害者よ。遥人へ抱きついたからといって腹を立てるのはおかしいわ。でも、どうして私より自然に胸へ飛び込んでいるの。しかも遥人も、当たり前のように抱き止めているし……』「リシア、この子に着せるものを用意してくれないか。聖剣から出てきたままだから、このままでは寒そうだ」「分かっているわ。私だって、何もせず見ていたわけではないもの」リシアは自分の外套を外すと、少女の体へ丁寧に巻きつけた。翼を締めつけないよう背中側へ余裕を作り、胸元の留め具を閉じる手つきは思っていたより優しい。「これで少しは温かいでしょう。あなた、名前は何というの?」「フィーネ」「家名は?」「分からない。お父様はフィーネと呼んでいたけれど、ほかのことは、たくさん眠ったから忘れちゃった」「お父様というのは、始祖竜のこと?」少女は小さくうなずいた。「竜たちが、お父様を始まりの竜と呼んでいたのは覚えているよ。でも、お父様はその呼び方が嫌いだったの。始まりがあれば終わりまで決められて
第16話 反逆者の声を、千人の兵士が聞いた廃都グラナートを覆う黄金の結界は、朝日を遮るほど厚く広がっていた。崩れた礼拝堂の窓から外を見れば、朽ちた建物の間を埋めるように王国兵が並んでいる。正面の大通りには盾を持った重装歩兵、その後ろには弓兵と魔術師が配置され、空には飛竜騎士まで待機していた。数千人という報告は誇張ではない。王国は、俺たちがこの転移門から現れることを最初から知っていたのだ。「反逆者、如月遥人に告ぐ!」拡声魔法で増幅された男の声が、礼拝堂の壁を震わせた。「貴様は王国の機密を竜帝国へ売り渡し、敵国の軍勢を我が領内へ引き入れた。その罪は明白である。三十数える間に武器を捨て、両手を頭上へ上げて投降せよ。従わない場合、竜族と共に焼き払う!」「勝手なことを言うわね。こちらは人間の兵士を一人も殺さずに助けたばかりなのに、今度は私たちを焼き払うつもりらしいわ」リシアは割れた窓の隙間から外を確認しながら、低い声で言った。翼の傷からは再び血が滲んでいる。先ほどまでなら平気なふりをしただろうが、俺と交わした約束を思い出したのか、彼女は自分からダルゼンへ声をかけた。「防護魔法を張った後で構わないから、私の翼へ止血術をかけてちょうだい。このまま戦えば、長くはもたないわ」「ようやくご自分の負傷を負傷として数えられるようになりましたか。ハルト殿の教育は、儂らよりも効果があるようですな」「余計なことを言うなら、治療はほかの者に頼むわよ」「ほかの治療役がおらぬから、儂に頼んだのでしょうに」ダルゼンは悪びれもせず、礼拝堂の四方へ防護結界を広げた後、リシアの翼へ青い光を当てた。「俺が教育したわけじゃないですよ。約束しただけです」俺が言うと、リシアはなぜか少し得意そうな顔をした。「遥人は自分の無茶を棚へ上げて、私には無茶をするなとうるさいのよ。守らないと、いつまでも同じことを言われそうだから仕方なく申告しただけだわ」『心配してくれたことが嬉しかったから守ったなんて、皆の前で言えるわけがな
第15話 戦えない通訳の戦い方崩れた礼拝堂の床を突き破り、隷属呪印を刻まれた兵士たちが次々と這い上がってくる。誰もが王国教会の白い外套をまとっていたが、その肌は死人のように青白く、開いた瞳には意志の光がなかった。胸元で黒い呪印が脈打つたび、手足を糸で引かれた人形のように立ち上がり、剣や槍を俺たちへ向ける。「円陣を組め! 負傷者とハルト殿を中心へ入れろ!」ヴァルガンの号令に従い、近衛兵たちが素早く動いた。意識を失ったミアと、黒い煙に操られた近衛兵を内側へ運び、外側では盾を構えた兵士たちが壁を作る。老魔導師ダルゼンは杖で床を打ち、円陣を囲むように青い防護壁を張った。最初に飛んできた無数の矢が、防護壁へ突き刺さる。光の表面へ波紋が広がり、ダルゼンの顔が苦痛に歪んだ。「長くはもたぬぞ。あやつら、死体ではない。生きた人間へ始祖竜の魔力を無理やり流し込み、痛みも恐怖も感じぬようにしておる」「生きているなら、殺さずに止めなさい!」リシアの命令に、アレクシオが鼻を鳴らした。「相変わらず無茶を言う。あれだけの人数を相手に、殺すなと命じられる側の苦労も少しは考えろ」「あなたならできるでしょう。できないのなら、黙って後ろへ下がっていなさい」「その口の悪さだけは、昔から変わらんな」アレクシオが聖剣を片手で振るうと、赤い炎が半円を描いて兵士たちの足元へ走った。炎は人間の体を焼かず、武器と床の間だけを溶かしていく。剣を失った兵士が飛びかかってくると、彼は鎧の腹を蹴り、ほかの兵士ごと数メートル先へ吹き飛ばした。傲慢な話し方は気に入らないが、実力だけは本物だった。一方のリシアも、負傷した翼を庇いながら銀の剣を振るい、兵士たちの手足を傷つけずに武器だけを弾き飛ばしている。二人の戦い方は対照的だった。アレクシオは圧倒的な力で敵を正面から押し潰し、リシアは速度と細かな魔力操作で一人ずつ確実に無力化していく。昔から何度も共に戦った経験があるのか、言葉を交わさなくても互いの死角を補っていた。「左だ、リシ
第14話 壊された転移門は夫婦でしか開かない北の古代転移門は、帝都を囲む城壁のさらに外側、切り立った岩山の内部にあった。皇女宮から竜車で半刻ほどの距離だが、移動している間にも空は少しずつ白み始めている。本来なら正午に出発する予定だったものの、聖剣を持った何者かが先に人間王国へ入った以上、悠長に時間を使ってはいられない。俺たちは治療と最低限の準備を終え、そのまま転移門へ向かうことになった。同行するのはリシア、ヴァルガン、老魔導師ダルゼン、そして近衛兵八名。聖女セナはまだ意識が戻らず、帝都に残って治療を受ける。勇者一行についても、女帝ガルディアの命令によって東棟に留め置かれていた。怜央は俺たちと一緒に王都へ戻ることを要求したが、聖剣を管理できなかった責任と、宮廷内で二度も武器へ手をかけた事実を理由に却下された。本人は最後まで納得していなかったものの、俺は出発前に顔を合わせようとは思わなかった。いま会えば、また「王都のために協力しろ」と言われるだけだろう。俺は王都の住民を助けるために行くのであって、怜央の言うことを聞くために戻るのではない。その違いだけは、もう曖昧にしたくなかった。「遥人、顔色が悪いわよ。竜車に酔ったの?」向かいに座るリシアが、心配そうに俺を見ていた。彼女は動きやすい青銀の軽装鎧へ着替え、背中の翼には治療用の白い布を巻いている。傷口は塞がり始めたらしいが、竜車が大きく揺れるたび、眉間に小さなしわが寄っていた。「乗り物酔いじゃない。少し寝不足なだけだよ」「あなたは昨夜、ほとんど眠っていないでしょう。私の腕を治療した後も、始祖の招集印を調べていたものね」「君だって同じだろう。人形と戦ったうえに、翼を切られたんだから、俺より休息が必要だ」「私は竜族よ。人間と同じ尺度で考えないでちょうだい」『本当は少し眠い。背中も痛いし、できれば横になりたい。でも、遥人が眠っていないのに私だけ休めるわけがないでしょう』強がるところまでいつもどおりだった。俺は座席の隣を手で軽く叩いた。「こっち
第13話 脅迫状は嘘をついている脅迫状を手にしたまま、俺は皇女宮の廊下を見渡した。窓の外はまだ暗く、夜明け前の空に二つの月が浮かんでいる。警鐘を聞いて駆けつけた近衛兵や侍女たちが慌ただしく行き交い、その顔には不安と困惑が入り混じっていた。この中に聖剣を盗んだ者がいるかもしれない。そう考えた途端、見慣れ始めていた皇女宮の景色が別のものに見えた。俺が最初にここへ連れてこられたとき、侍女たちは人間である俺を警戒していた。それでもリシアの命令に従い、傷の手当てをし、食事を用意し、竜族の作法を知らない俺が困らないように世話をしてくれた。彼女たちを疑いたいわけではない。だが、誰かを信じたいという気持ちと、疑う必要がないという判断は別だ。勇者一行にいたころの俺は、その二つを混同して失敗した。「ヴァルガン、皇女宮を封鎖しなさい。今から出入りした者を一人ずつ調べるわ」リシアが命じると、ヴァルガンはすぐに部下へ指示を出した。「承知しました。ただし、帝城の東棟から皇女宮までは距離があります。侵入者が聖剣を持ったまま正規の通路を移動したなら、巡回兵の誰かが目撃しているはずです」「転移術を使った可能性は?」「宮殿内部で許可なく転移術を使えば、管理術式が検知します。先ほど記録を確認しましたが、異常はありませんでした」「それなら、地下通路ね」リシアは翼を畳むと、剣を手に歩きだした。「待ってくれ。どこへ行くつもりだ」「皇女宮の地下には、帝城建設以前から残る水路があるの。現在は封鎖されているけれど、古い竜族なら存在を知っているわ。聖剣を運ぶなら、そこを使った可能性が高い」「一人で行く気じゃないだろうな」「もちろん一人では行かないわ。近衛兵を連れていくもの」「俺も行く」「あなたは残りなさい」予想していた答えだったが、予想していたからといって納得できるわけではない。「脅迫状の言葉を読み取れるのは俺だ。聖剣の声も、始祖竜とのつながりも、俺にしか分からない
第12話 敵国へ戻るための七つの条件始祖竜の幻影が消えた後も、謁見の間に集まった者たちは、しばらく誰一人として口を開かなかった。七日後に人間王国の王都だけでなく、竜帝国の帝都まで滅びる。あまりにも規模が大きすぎて、すぐには現実として受け止められなかったのだろう。俺自身も、胸元に残った熱と、リシアの手の感触がなければ、悪い夢だったと思い込んでいたかもしれない。だが、右腕から胸へ広がった始祖の招集印は消えていない。礼装の下で脈打つたびに、王都の地下から響く巨大な鼓動が、遠くかすかに聞こえてくる。一度、二度、そして三度。その鼓動は人間の心臓よりもはるかに遅い。しかし、一度鳴るたびに大地そのものが軋み、膨大な魔力が地中を伝っている。七日間という猶予は、始祖竜が俺たちへ与えた慈悲ではない。奪われた力を取り戻し、目覚めるために必要な時間なのだ。「皆の者、評議の間へ移るぞ」女帝ガルディアの声が、重苦しい沈黙を破った。「近衛は人間王国の使節団から武装を預かり、東棟の客室へ案内せよ。客人としての待遇は保て。ただし、我が許可なく部屋から出すな」「お待ちください。俺たちは罪人ではありません」怜央が抗議すると、ガルディアは冷ややかに彼を見下ろした。「罪人として扱うのであれば、客室ではなく地下牢へ入れている。そなたは我が宮廷で二度にわたり武器を抜こうとし、同行する聖女が殺されかけても、呪印を安全装置と言い張った。それでも使節として扱われていることに、まず感謝するがよい」「俺たちを閉じ込めれば、王都へ戻るまでの時間を失います。七日しかないことは、あなたも聞いたはずだ」「だからこそ、そなたらだけを先に帰すわけにはいかぬ。都合の悪い証人を殺すための呪印を用意した国が、次に何を仕掛けているか分からぬからな」怜央は俺へ助けを求めるような視線を向けた。以前なら、その目を向けられただけで、俺は両者の間へ割って入っていただろう。事態を悪化させないため、怜央の言葉を穏当な表現に直し、彼の代わりに頭を下げていた。しかし、今